海外で活躍したい。
フィリピンで日本式介護を伝える、福井さんの挑戦
介護を、日本の中だけで終わらせない。
フィリピンに身を置き、日本式介護の可能性を世界へ広げる福井淳一さんに、これまでの歩みとこれからの展望を伺いました。
「海外で稼ぎたいとか、海外で成功したいというより、本当に海外で活躍したいという思いでした」
福井さんの原点には、学生時代から抱いていた“海外で活躍したい”という思いがあります。 その思いから介護の道を選び、アメリカでの経験を経て、フィリピンで日本式介護を伝える活動へとつながっていきました。
海外で活躍するために、介護を選んだ
福井さんが今取り組んでいるのは、フィリピンでの介護教育です。 日本で働くフィリピン人ケアワーカーに向けた教育を中心に、さらに日本以外の国で働くフィリピン人ケアワーカーにも、日本式の介護を伝える活動を進めています。
その原点にあったのは、大学時代から抱いていた「海外で活躍したい」という思いでした。
自分が海外で活躍できる仕事は何かと考えて、介護の仕事を選びました。 福井淳一さん
海外で働きたい理由について、福井さんは「明確な理由があるわけではない」と話します。 身近に海外で働いている人がいたわけでも、親が海外で仕事をしていたわけでもありません。
それでも、海外で活躍する人の姿に心が動いたといいます。 成功やお金ではなく、海外という場所で自分の力を発揮すること。 それが、福井さんにとって大切なテーマでした。
活躍しようとしたら、やっぱり実力をつけないといけない。それは常に考えています。 福井淳一さん
アメリカで出会った、フィリピン人ケアワーカーの存在
福井さんは、アメリカで介護の仕事をしていた時期があります。 その現場には、多くのフィリピン人ケアワーカーが働いていました。
フィリピンは介護人材の排出国なんだなと分かり、それでフィリピンの介護に興味を持ちました。 福井淳一さん
その経験がきっかけとなり、福井さんはフィリピンへ渡ります。 現在は、日本で働くフィリピン人ケアワーカーへの教育を中心にしながら、世界で活躍するフィリピン人ケアワーカーにも日本式介護を伝える活動をしています。
福井さんにとってフィリピンは、単なる活動拠点ではありません。 日本式介護を世界へ広げていくための、大切な入口でもあります。
介護をやりたい。でも、制度が動かない
福井さんがフィリピンに来たのは2009年。 当時から、日本では外国人介護人材の受け入れについて話は出ていました。 しかし、実際にはなかなか大きく動きませんでした。
フィリピンで介護の仕事をするだけでは、生活を成り立たせることは難しい現実もありました。 介護の教育や送り出しに関わる仕事を本格的に行うには、国の制度や規制が動く必要がありました。
福井さんは、その時が来るのを待ち続けます。 その間、生活を支えるために不動産の仕事も続けました。
でも、そうは言っていられない。とにかく稼がないといけなかったので。 福井淳一さん
やりたいことは介護。 けれど、すぐには形にならない。 それでも福井さんは、介護から離れず、時を待ち続けました。
「行きそうだけど、全然行かない」時間
2019年まで何もなかったわけではありません。 EPA、技能実習、介護留学、特定技能など、いくつかの動きはありました。
ただ、福井さんが思い描いていたような大きな流れには、なかなかつながりませんでした。
ちょっとできそうなことがあったり、波はありました。でも数が少なくて、乗れなかった。 福井淳一さん
福井さんにとって、その時間は「ずっと動かない」というよりも、「動きそうで動かない」時間でした。
ずっと行かないというより、行きそうだけど全然行かないというのが続きました。 福井淳一さん
うまくいかない時期に続けていた、自分との対話
思うように進まない時間の中で、福井さんが続けていたことがあります。 ひとつは、自分との対話です。
うまくいっていない時期には、ほぼ毎日のように書いていたといいます。 頭の中だけで考えていると、不安やネガティブな思いが大きくなってしまう。 だからこそ、紙に書き、自分の状況を客観的に見るようにしていました。
紙に書いて見直すと、思ったほど悪い状況ではないなと気づいたりします。 福井淳一さん
過去に書いたノートを見返すことも、福井さんの支えになっていました。 今も大変だけれど、以前よりは前進している。 その実感が、次へ進む力になっていました。
もうひとつの支えは、筋トレだった
福井さんが続けていたもうひとつのことは、筋トレでした。
頑張ってもマイナスになってしまうこともあります。 福井淳一さん
一方で、体を鍛えることは違いました。 事業がうまくいかない時でも、身体は鍛えれば変わっていく。 その実感が、福井さんの心を支えていました。
事業はうまくいかないけれど、身体の能力は多少上がるのが見える。それで心の均衡を保っていました。 福井淳一さん
福井さんは、自分の取り組みを人生の後半勝負だと考えています。 だからこそ、チャンスが来た時に動ける身体でいることも大切にしていました。
やっぱり体は鍛えないとまずいなと思いました。 福井淳一さん
直感を信じるために、データを見る
福井さんには、「これから介護の需要は高まる」という直感がありました。 しかし、その直感を信じ続けることは簡単ではありません。
でも、その直感を信じ続けられるかどうかは、すごく難しいことだと思います。 福井淳一さん
その直感を支えているのが、人口動態のデータです。 日本の人口は減っていく。高齢者は増えていく。 そして、世界も高齢化していく。
世界も高齢化しているのであれば、介護は絶対に需要が高まるし、介護の教育は絶対にニーズがある。
その人口動態のデータが、自分の直感を支えてくれています。 福井淳一さん
海外にいることで、自分の希少性が高まる
福井さんは、これからも海外を軸に活動していく考えです。 理由は、自分のやりたいことに近く、希少性も高まるからです。
でも、それを世界に出そうという人はまだまだ少ない。
どちらに自分の身を置いた方が希少性が高まるかといえば、海外に身を置いていた方が高まります。 福井淳一さん
海外にいることは、単に場所の問題ではありません。 日本式介護を世界に届けるために、自分がどこにいるべきか。 福井さんは、その視点でフィリピンに身を置いています。
40代になり、自分がやることが見えてきた
福井さんは、40代になって、自分の好きなことや好きではないことが見えてきたと話します。
でも40代になると、自分の性格とか、どういう時に気分が上がるかも見えてきます。 福井淳一さん
だからこそ、今は自分が本当にやりたいことにリソースを割くようにしています。 無理に人に合わせすぎるのではなく、自分が集中すべきことに時間を使う。 その感覚も、年齢と経験を重ねる中で強くなってきました。
人にそんなに合わせすぎなくても、自分の機嫌を取れるようなことにリソースを割くようにしています。 福井淳一さん
これからですね
40代になると、ミッドエイジクライシスという言葉を耳にすることもあります。 しかし、福井さんにはその感覚がないといいます。
私は何にもまだ成し遂げていないから。 福井淳一さん
まだ成し遂げていない。 だからこそ、これからだと思える。
これからですね。 福井淳一さん
海外で活躍したいという思いから始まり、アメリカでフィリピン人ケアワーカーに出会い、フィリピンで介護教育に取り組むようになった福井さん。
制度が動かない時期にも、生活を支えながら待ち続けました。 自分との対話を重ね、身体を鍛え、人口動態というデータを支えに、直感を信じ続けてきました。
そして今、福井さんは日本式介護を世界に届けるだけでなく、介護を通じて外国人から外貨を稼ぐという、新しい挑戦に向かっています。
福井さんの勝負は、これからです。
プロフィール
1980年、神奈川県生まれ。2003年、日本社会事業大学 福祉計画学科卒業。 社会福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士、Dementia Care Expert(認知症ケア専門士)。
2000年よりスタートした介護保険制度に伴い、今後は日本の介護も「サービス業」として質の向上が求められると考え、民間の介護サービスが充実しているアメリカで介護とシニアビジネスを学ぶことを志す。
2003年、大学卒業後に渡米。サンフランシスコ郊外にある日系人高齢者グループホームにて、住み込みで働く。 アメリカでの介護経験を通して、東南アジアや南米の介護士・看護師が、文化や言語の異なる「外国人」に医療・福祉サービスを提供する現実を学ぶ。 日本の介護業界での人手不足を体験していたことから、今後は日本でも多くの外国人介護士・看護師が働くことになるだろうと考えるようになる。
2008年、EPA(経済連携協定)により、フィリピンとインドネシアから介護士が日本で働くようになるというニュースを聞き、アメリカからスタートした世界一周旅行の途中でフィリピンへ立ち寄る。 マニラにある介護士養成施設でフィリピン人とともに介護士コースを受講し、フィリピンでの介護技術や介護に対する考え方を学ぶ。 帰国後は、さまざまな形態の高齢者施設で経験を積み、介護福祉士の資格を取得する。
2009年より再びフィリピンへ渡り、フィリピン資本の不動産会社で働く。 2012年、不動産会社で勤務する傍ら、シニアビジネス専門のコンサルタント会社を設立。 フィリピン人看護師の留学支援、EPA不合格者の再チャレンジプログラム、日本人介護士向けグローバルリーダー育成プログラムなどを実施する。
2019年からは、介護職特定技能向け技能評価試験対策のクラス運営、介護・医療職員向け海外研修ツアーなどを開始。 国際認知症ケア連合認定のDementia Care Expert(認知症ケア専門士)に日本人として初めて合格。 外国人介護人材の育成とともに、アジアに日本の認知症ケアを広めていく活動に従事する。
2021年、新型コロナウイルスによるパンデミックのため帰国。 京都の訪問介護事業所でヘルパーとして働き、在宅の障害者支援に2年間従事する。 高齢者施設介護と障害者の在宅支援の双方の介護現場を経験したことで、介護保険制度と障害福祉サービスへの理解が深まる。 その結果、日本の介護とは、高齢者介護と障害者支援という2つの異なる介護によって成り立っていることに気づき、日本の介護を俯瞰する視点を得る。
2023年、再びフィリピンへ渡る。 ケアワーカーの送り出し機関と協業し、外国人介護人材の育成と認知症ケアの啓もう活動を再開する。
2025年、「フィリピンにおける日本式介護システム普及事業」にて介護講師を務め、日本式介護の技術と「尊厳」「自立支援」の理念を伝える。 現地の介護関係者や行政から高く評価され、以後、フィリピン各地での展開を本格化。 文化や生活習慣に合わせてプログラムをローカライズし、持続可能な人材育成モデルの構築に取り組んでいる。
KAIGO JUNCTION 公式サイト